Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

悪夢を臨む

弱者の話と内面の話が繰り返されるのがこのブログである。言葉を連ねることだけが私のやることであり、意義であり、その錯乱、恍惚だけが私である。仕事で無能な私は何も成し得ない。あの上下関係、強いか弱いか、この三十年と少しがずっとこれだけなのであ…

弱者のための世界4

孤独死の問題を取り上げる。 なぜなら、私が必ず陥る問題だから。 社会から見えない透明な存在である私がここにいるのは、こうした文章の中だけであり、冷淡な女の目と暴力的な男の目から逃れられずに喉を掻きむしる以外にない。私は私の膨張し異様な形に歪…

弱者のための世界3

無自覚な殺生が私たちの原型にある。 羽から裂かれたトンボ、踏み潰されたハエトリグモ、暴力を振るう遊びが学生時代に有った。どうして小学生の頃にベンチコート狩りと称していちゃもんを付けられたのだろうか。頸動脈を押えられたとき、私の意識は消え、現…

偶像崇拝との距離

私は現実の人間に執着する前に逃げ出した男である。 孤独にはウジがたかる。 楽しいことを考える、これが徐々に削られて嫌な所へと向かっていく。 私がまだ学生だったころ、アイドルの握手会に参加したことがある。理由は特になく、社会経験のために金を払っ…

弱者のための世界2

肝心なことを忘れていた。私たちが定義する「弱者」についてだ。 本当に弱者とされる人たちと、これまで示した弱者は異なる。当たり前だが、意味合いはソフトなものになる。私はどこまでも卑劣であるから、そういったことを忘れる。ジャックナイフを頭に突き…

弱者のための世界

生き物の原理から言えばそれはあり得ない。何か頭を使って生き延びる策がなければ私たちはずっと嫌な所に閉じ込められ、そのまま死ぬまで生かされる。努力を、競争を、私たちはずっとこの閉じた輪の中に存在している。 私はこの社会の中で軽蔑と嫌悪を受ける…

やはり私は逃れられない

無能である。私はこれまで一度も仕事をしてこなかった。 定義:計画の無い業務は仕事に非ず。 だから私は無能である。この社会で適応できずに淘汰されるべき人間だ。どうして生かされているのか、どうして生かしてくださるのですか、明日には消えてしまいた…

自己理解により導かれる

あらゆる悲惨な道が強制収容所と死とへ続いていた――人間は到る所で運命と対決せしめられるのであり、単なる苦悩の状態から内的な業績をつくりだすかどうかという決断の前に置かれるのである。 V・E・フランクル 夜の霧(みすず書房) より 忘れかけた時代…

弱さの証明は

他者への不寛容である。 他者を切り捨てることこそ、私達の弱さである。 常に弱肉強食だと、ここで良さそうな椅子に座らなければならない。そうして弱者を切り捨てるのが正しい姿なのだ。私達は努力をし、ふるいに掛けられ、より強くあらねばならない。それ…

太陽でその身を焼くこと以外

ここに救いはない そもそもそんなものはどこにもないのだから たった百年ぽっちの人間を信じる所はまったくない 自身の狭苦しい境界から自信満々を放り投げる言葉の数々。世界観は重ね合わされるが個人は独立して自身を価値ある存在と定義すること七十億。私…

ひりつく両手

ぐるぐると回っている意識が不連続な境界線を渡っている。 精神病を患ってはいないが「かのようなパーソナリティ」というものが私である。私は誰かの模倣である。他者との間に、社会性のような何かを真似して何とかやっているから、そこから外れればもう何も…

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火