Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

弱者のための世界

消え去る前の小話

 生き物の原理から言えばそれはあり得ない。何か頭を使って生き延びる策がなければ私たちはずっと嫌な所に閉じ込められ、そのまま死ぬまで生かされる。努力を、競争を、私たちはずっとこの閉じた輪の中に存在している。

 私はこの社会の中で軽蔑と嫌悪を受ける透明な人間である。無能を排するやり方は簡単である。コミュニティの中でいない者として扱うか、邪険にしておけば勝手に病んで消えていく。被害妄想と学習性無力感により、私は頭が鈍くなっていくを感じた。

 この社会が私を抹消しようとしている。このシステムが私を異物として自死させようとしているのだ。この世界が私のような人間へ天啓を与えるために苦難を与える。苦しみにまみれた人生を苦しみながら消えて行けと、その先には何もない。

 天国など、地獄など、私たちの幻想的物語の前には存在しなかったのだから。妄想と現実の区別はまだついている。私は精神病ではない。単に神というもの、そこに至る妄想を考えているだけなのだ。仏教的な現実感を持った教えがこの社会で生きるには役立つ。そこから研究をしなければならない。(今、何も手に付かない人間がそれを可能と言えるのだろうか、休日の倦怠感が酷く自涜と映画をぼんやりと繰り返しているというのに? そんな私に仏教の思想を学習する時間があるのだろうか。)

 私はこの人生を精一杯、苦しみが多くとも笑って生きていたいのです。

 沢山努力が出来ない人でも、頭が上手く働かせられない人でも、短絡的な人でも、誰でも、出来る限り苦しみが少ない人生が送れるような政策の実現が望まれるが、結局「そのお金はどこから出て来るんですか?」という問題から私たちは抜け出せない。

 理想論と結論だけが暴走しているアニマルライツと同じだ。私たちもこの社会でストレスを浴びて上を向いて努力し続けるという狂気を送っている。人間さんがかわいそう! などとこの団体は言ってくれない。かわいそうだから援助して生かしてあげよう! とはならないのだ。無償のものはこの社会にほとんどない。

 動物さんがかわいそう! という驕りは大人になれば分かるはずだ。まさに「人の気も知らずに勝手なことばかり言いやがって」だ。今生きている全ての動物たちの生活を守りたいのであれば、人間が管理する必要がある。生き物たちを知る必要がある。

 身近な生き物としてジョロウグモがいる。こいつは夏から秋ごろにかけて見かけるクモで、糸は黄色っぽく、体長も25mm程度ある。♂はその半分以下。最近は寒くなる12月でも生きている個体をよく見かける。彼らの巣は大きく大雑把なので、よく邪魔になる。彼らの生きるための巣を破壊しても、動物さんがかわいそう! なのだろうか。良く知る動物だけ、感情があるなどと神経のこぶの大きさで生き物を区分けする。

 おかしくはないだろうか。私たちの体には沢山の生物が共生している。ダニは無数に部屋の中で有機物を処理し、ハエトリグモがコバエを捕まえる。カメムシが暖かい部屋の中に入ってくる。嫌なにおいを出す。こうした動物がかわいそうなどと思うだろうか。(わたしは出来るだけこうした生き物を殺傷しないよう外に出してやる。殺さずとも生きていけるからだ。)

 弱肉強食とは生き物の環境最適化である。動物たちの世界では、絶滅か生か、生きるためだから仕方がない。人間たちが沢山の物事を知り、今いる動物を保護できるようになったから、今のような絶滅危惧種を守ろうということも出来るようになった。これもSDGsの一つだろうか。

 その活動のために動物にも協力してもらう。そうしなければ私たちの社会は回らないから。理想の実現のために、出来ることをやる。というのがこの社会である。

 熊の駆除に文句を言う人間も想像力が足りない。人間であることに驕っている。

 私は駆除される人間である。間違ってここにやって来た。社会との摩擦が適応不良を起こしている。

 弱者のために割を食う人たちがいるから、弱者などは最低限の暮らしが出来ている今をそう否定することはない。

 私たちは社会の加速に耐えられないからいなくなるのでしょうか。強い熱意と頑張れる力は「なんとかしなければ」と改善を生み、生き残る人達の持ち物だ。

 それが小さくとも変えられる。人間の力なのではあるが、私のように何もない人間もそれなりにいるのも事実だろう。

 それでは、私たちのような人間がどのように生き抜けばいいのか。

 社会制度をめいいっぱい利用する。ストレスがすくない仕事を探し労働をする。

 それでも、生きられない。

 ギリギリの生活をしなければならない。

 一つ。

 欲を小さくすること。そうすれば弱くとも生きていける。

 私はそれをこれから実践していかなければならない。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火