Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

この社会の仕組みのなかで

消え去る前の小話

新年から雑記です。

 今年も恐らく激動、時代に休まる時はないと感じています。
 テーマは変わらずに『弱者』というものについて考えていく所存です。

『助けたい人は助けたい人の形をしていない』という言葉が示しているように、弱者を救うには人の力よりもシステム構築が必要だが、それは人の優しさだけでは限界がある。

 今は生活保護などあるが、こうした制度も常に社会の変化に合わせて変わっていく必要がある。私達がそこにいつか置かれるかもしれないのだから、小さな労働者としてどのような活動が考えられるだろうか。

 弱さは「醜さ」「卑しさ」「憎しみ」「攻撃性」とも親しく、一度落ち込んでしまえば誰かを攻撃し続ける。誰かを騙して自分だけ得をしなければ生きてはいけない。多くのリソースが他者との相対化に使われていて、どうしようもないこともある。
 向き合って生きていける者と、生きてはいけない者。
 やりたいことだけ、目に見えることだけ。
 それを食い物にする連中も混ざって、エコーチェンバーには事欠かない。

 だからこそ機械的に助けられる仕組みというものが重要になってくる。

 また、一部でNPOのお金の使い方などが問題視されている。手を差し伸べる側がどうあるべきかはよく考えなければならない。明確に出来るものは明確に数字で出す。そうした所からしっかりと成果を積み上げていく。

 非営利だからこそお金の流れや使い道は明確にされなければならない。弱者に対して手を差し伸べているのだからと「口出しできない聖域」を作ってしまえば、それで批判を封殺してしまえば、そこから良くしていくチャンスが失われる。
 どんなことも一つ一つ積み重ねる。それだけだろう。

 ボランティア活動には賃金が発生するものと無償のものがある。公金は中々入らず大変な団体が多いそうだが、実地調査していないので詳細は分からない。

 そして、この先の社会を考える上で、プロボノがある。

 職業上のスキルや専門的な知識を活かして行うボランティア活動。働き方改革で浮いた時間などを活用することで、より社会課題や問題に積極的な関わり方が出来る。私はボランティア活動の経験はそれほどないが、そこで出来たチームで協力して物事を進めることは仕事に近いものがあると感じた。

 何が課題かを明らかにして、それに対してどのようなシナリオをもって解決するか、それをいつまでに完遂するかの計画立て、成果の報告、プレゼンなど。それは経済活動から離れた社会課題の解決にとっても非常に大切になってくる。
 そしてその結果に法改正や制度の構築、国家や議員との連帯、この社会をよりよくするための手段が実現される。
 自分達だけが利益を得られるようなスキームを構築するような手合いが入り込む隙が無いように、NPOであってもガバナンスがしっかりと行われればこの社会をよくする仕組みは構築出来ていくのではないかと思う。

 社会や環境への取り組み、企業のガバナンスが問われるようになってきたEGS投資などを考えれば、営利目的の組織人が社会貢献活動に参加することは大きな意味を持って来る。

 私達が出来ることは何だろうか。
 ただお金を稼いで、生きて、死んでいくだけか。
 少しでもマシな未来を掴むために、何が必要だろうか。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火