ひりつく両手
ぐるぐると回っている意識が不連続な境界線を渡っている。
精神病を患ってはいないが「かのようなパーソナリティ」というものが私である。私は誰かの模倣である。他者との間に、社会性のような何かを真似して何とかやっているから、そこから外れればもう何も出来ない。
私は十年近く技術者として働いているが、その中での成長はほとんどない。誰かの仕事のようなものを真似してやっているだけで、それらが真因に辿り着くことは決してないのだ、だから三十代の初めの今苦しむ。ここから先は転落が目の前に迫っている。
求められる物事のレベルは私が対応できるものではない。愚鈍な頭が最近はより一層もやがかかった様に働いている様子が無い。物事の優先順位がつけられずボロボロと零れている業務、計画なき業務は仕事に非ず。その計画が私にはない。短期的なものか、納期までに何とかするという行為が私は苦手である。完璧ではなくとも及第点の成果で何とかモノにする。そうした行為が途轍もなく苦手なのだ。
幾たびもこの社会に殺して頂けないかと願ったのだ。祈りは暴力である。
殺して頂けないので、透明で弱虫な私は誰かに殺意をぶつけ、そうして絞首刑を望むより他ない。お願いですから、もう生かさないでください。こんな社会で、ずっと上を向いて、死ぬまで努力をして、ただただ得られるものが「生」である。それ以上にこの先はない。袋小路が人生である。そんなものに輝きはない。
誰かのため息が私の存在理由だった。
もう五年も経つ。使えねえオッサンといった言葉は腐るほど反芻した。文句は言えず、私は「どうかお願いですから、殺してください」と願うしかない。
孤独だからおかしいのですか?
違いますね。私はまともです。まともでなければこの生を終わらせたいなどと思いはしない。
楽しいことを考えて生きていたかったが、どうやらそれももう難しそうだ。
日々を忘れる為に費やし、成長や様々な勉強は私の元から離れた。どうやっても自分をひねた肯定で導こうとしてしまう。休みの日は何も考えたくないからゲームをしている。やりたいと思っていた物語を書く行為も、解説動画で自分の面白いを発信する試みも、何もかもが手に付くことはない。ただただ平日にあった全ての劣等感を忘れる為に、何も出来ない私を殺してしまわない様に。
頭を使わず、ただただ7Days to dieでゾンビの頭を吹き飛ばしている。
ただただ地面を掘っている。
憂鬱は鎌首をもたげ、私の首に食い込み始めている。こんな文章を涙を流しながら書いている私はとても醜いだろう。恐らく、今の職場でそんなことを思う人間はほとんどないだろう。ただただ愚かにも成長から逃げている、やるべきことをやればいいだけだ。そうして私はこの社会で上手く生きられぬ。この国のシステムがクビを飛ばさないから、私は労働を続けている。
今日は太陽で掌を焼こうと思ったが、少ししびれただけで手を放してしまった。
火傷、じくじくと傷むその感覚だけが私の物である。
この窮屈な精神から出て行くことは出来ず、私は願っているのだ。
「どうか、お願いです。私を殺して頂けないでしょうか?」
この先、後十年生きてなんになるというのだ。ただただ老け込んだ私が鏡に映り、無能と誹られる日々にどうして生きる価値など見出せようか。
価値は存在しない。自身で定義しなければそこにない。
しかし、自身ですらその価値を担保してやれないのだから、私は祈るしかない。
「どうか、お願いです。私の身を太陽で焼き尽くしてください」
私が自信をもって私だと言えるものは、痛みの他に何もないのだ。