Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

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消え去る前の小話

 湖にトンボが飛んでゆくのを見て涙が溢れた。は泣いてしまったのだ。男の癖に、男の子なのだから、辛くとも耐えなくちゃならない。男の子なんだから、そうして攻撃性が私の中で私に突き刺さっていく。

 最早自身の世界にしか逃げ込む先が無い。他者との対話がままならなくなり始めている。生き物が生きているありようを見て、強烈な希死念慮を覚える。私は病んでいる。この社会が病んでいるのと同様に、人間がこの歪な構造を徐々に変えるしかないのだが、そうやって変化する間を私は耐えなければならない。この人間の暴力性も、性に紐づく様々な物事も、私に淘汰の意識を、優性論的蒙昧を信じ込ませるに至ったのだ。

 仕事をしていたとしても、収入が安定していたとしても、人は他者との繋がりが無ければ自己だけしか繋がるものはない。そうして世界観が周囲と乖離していく。この状態が続けば至るのは狂気以外にはない。太陽に焼かれた私はその爛れた表皮をこの社会の只中に置く。常に死に続ける私の肉体はこの不連続な意識を取り出すことすらなく、焼かれている。流れ出した油はそのさきから固まり、私の足を砂の中へ埋めていく。

 ブルシットジョブが私の居場所である。この足は焼かれて朽ち果てた。ここから先へ行くこともない。最終的に行きつく場所は自己の肉体の破壊である。誰もが自己の肉体が長く続くことを願う中で、私は世界観を破壊しなければならない。この構造、この情念、この接続、全てが煩わしく、私を拘束している。周囲の人間と私は違う。同じだ。小さな個体差をうじうじと言っているタイミングはもうとうに過ぎている。私は子供のまま、肉体だけが老いていく。この醜い全ての構造を破壊しつくさなければならない。

 この社会で幸福など有り得ぬ。あるのは私への生返事と軽蔑だけである。

 私が叫んだところでそれらは道化染みたおかしみしか生み出さない。カウンセリングの最中に私は思う。彼らは外側で話を聞く。外側から解決するにはバールでこじ開けなければならない。そこから出たくはないと思っているが、それでは私は死ぬしかない。

 だからこそそこから出て、人間と同じテーブルへとつかねば。

 常に文章を書くこと。文字を読むこと。人間の中にある対話も雑談も全てが私から遠ざかっていく感覚をトンボの飛翔を見て感じたのだ。ハエトリグモが跳ねるのを見て思ったのだ。目の悪い一般的なクモが私の指にとりついた時に思ったのだ。私は虫を観察しているだけの人間だ。人間ではないから、観察をする人間なのだ。

 これも構造からの逃避で、そこから生み出される者は何もない。破壊そのものは生産ではない。その壊れた土壌から何かが芽吹くとて、それは私でない。私が通り過ぎた後の何かである。老年まで生き延びてしまった哀れな私の抜け殻である。それは破壊の結果であり、私が望んでいたものだったのだろう。

 肥溜の中で息をしようとして糞を喰らった。私の免疫機構は破壊された。

 ただ生きる。言葉も対話もなく、機能として、機構として存在を続ける自然と虫たちの全てが私を救ったのだ。この涙があれば私はもう消えてしまってもいい。やり残したことは無数にあるが、それらを差し置いても私は消えていい。道徳的通年から言えば、それはあり得ないことだ。どんな理由があっても人は自らが死を望む、消えたいなどと思いそれを実行してはならない。基本的人権の尊重として生存権私達は手放せない。それは非常にデリケートな問題だから。私がおんぼろ車に乗り、その内燃機関がかかりにくいのを感じる時、私はこれくらいの機能しかない。そしてそれが容認されるのはこれが車だからだ。私がこれであればそれは社会からの断絶を意味する。

 ある程度は自己責任である。あなたの生き辛さも、あなたの能力のなさも、その人生を暗く病んだ場所へ突き落そうとする危うい思考も、全て自己責任だ。

 ああ、選択の結末がそうなのだから、賽を振るのは自分より他にいない。

 そうやって他人を助けることが出来ない私は居なくなればいい。これらの思考が消えることはない。癒えることは可能性として保留されるが、まずあり得ないだろう。

 神が私を苦しめるのではない。生そのものは苦痛で占められている。だから考え方を変えなければ、適応しなければ、その前提の上でどうすれば幸福になるか、他人よりよい生活が出来るか。そういったお為ごかしと無条件で生を肯定するその虫の良い神経が私を苦しめる。

 私はただただ景色を眺めることしか出来ぬ生き物である。

 分かったような口を利く人間からも逃れ、何もせず、朽ちて餓死していくその試みを失敗する。そうやって生に執着する。この続きが良くなることなどもう無いというのに、死ななきゃ安い、それが勝ちだとくそったれの社会性が私を生かし、そして殺した。

 何故、殺して頂けないのでしょうか?

 それは勿論、神などいないからだ。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火