Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

「歪曲されセンセーショナルに振舞う愚かなタイトルたち」

消え去る前の小話

 サイバーカスケードによって過激化する。周囲が見れなくなる。私達は知性などなく、ただ同じ言葉を繰り返す愚昧である。全体を広く見ることの大切さと、その上でどれだけ無駄な情報に人生を消費させられているかがよく見えてくる。

 炎上商法。悪名は無名に勝る。

 歪曲されたタイトル、脊髄反射的反応、連鎖することで馬鹿馬鹿しい人間の行動ばかりがピックアップされていく。そうした人間の狙いがどのように作られているか気になって確認すると中身はほとんどなく、盛り上がっているように見せかけているものばかりが目に付く。

 

タイトルしか見ない約60%の人達

でたらめなタイトルだけを信望する私達の愚かさ。

中身のない表面だけの妄想が世界を推し進めていく。

 

摂取される情報が多すぎて表面をなぞるしかない。

 そのほとんどはゴミのようなものだ。少数の小さな小さなしょうもないところから、アクセスを増やす為に過剰に装飾されたタイトルが出回る。それがちょっとした世の論調になる。面白半分で「いいな」獲得競争に興じる暇な私達。

 

 2000年代初期から発生したSNSがその一端を担い、私達はちょっとした「いいね」や「リツイート」などの虚飾、クソみたいな承認欲求だけが人間である。その姿のない反応の数々に釣られたものたちはメディア、インフルエンサー、そういったものが話題にしてそれを娯楽として喜んで受け取る。

 youtubeまとめサイト、ニュースサイトなどで得た情報は裏取りされることなく、ただ表題だけが事実としてすり替えられる。する必要もないことが行われ、ただ話題になるから、過激さを求めて発信されていく情報の数々。

 炎上系、曝露系、そうした露悪的なものですら娯楽として、収益として、このくそったれな社会は回っていく。先生に言いつけるからね、みたいな子供時代から私達はほとんど成長していないのだ。ちょっといけ好かないから貶めてやろう、名前が売れているからちょっとしたことにも目くじらを立て責め立てる。それがコンテンツになるから。

 大人、なんて所詮そんなもの。快楽物質を求める哀れな霊長類が私達。

 これらが金を産まなければこうはならない。これが過激化すればするほどに求められるのは、金、金、異常なまでの金。又は知名度、それそのものが金を、権威を生み出す。

 これらの活動を減らすには人間を信用スコアで管理してディストピア的な社会システムを作るしかないようにも感じられる。悪名は無名に勝らず、悪名は無明のまま。

 社会的によくない行為をすればするほど社会的な活動がしにくくなる。今のような活動も何かの契機で大きく制限されるようになるだろう。このまま加速すれば、そのような規制が入るのは仕方のないことになってしまう。人間とは、無際限に物事を求め続けるのでどこかで柵を設けないといけない。

 むしろ、そういった柵を求めてさまよっているようにも思える。

 自由にやる。それが行き過ぎればその責任を問われる。それすらも解き放ち、完全なる自由を実現することは能力の無い者には生き辛い。

 それを少しでも癒す為のネタとして、こうした露悪的な存在はなくなることはない。

 一人一人が情報をしっかりと確認し、こうした存在を無視していけば収まるが、それがしにくい状況であるのでやはりどこかで規制が入るのだろう。

 

 事実は隠され、魔女はどこだ。

 探し回って、ずっと見つからないままだ。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火