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今の流れは誰が生み出したのだろうか、犯人を見つけようともキリ
審判、機械的偏愛。
世界は個々の中に沈み込み、それらを重ね合わせ流していくオール
HUBとなる人間を見たことがあるか? 明確に見た、存在している。そう言い切れる者はいない。人間の元
流れは生み出された。戦わずして社会は何者かに負けたのだ。
その中で私はなんでもないから死にたいのだろう。この世界が愛に満ちているから居なくなってしまいたいのだ。もしくはそう思わされている。思うように仕向けられた社会構造、人間の価値観、その中の強力な押し付け。
このなんでもない毎日、能力の足りぬ私が仕事をしているが、人間
不意に見知らぬ他人に殺意を向けるのに? それは愛の反復である。どうせお前に人殺しは無理な相談だ。哀れで惨めな生き物なのだか
この言語も意味はない。私は社会人ではない。私は人間ではない。
下向きに熱意などなく、人間らしい賢さもなく、私は泥の沼に沈ん
薬物で脳を破壊しろ。依存性などではなく、文字通り殺してしまえ
だから私は人殺しである。生存競争を是とし、私達は合法的にシステム的に構造的に人殺しを許容している。誰かによって人が死ぬのを許容せざるを得ない。倫理的、法律的、人道的に基づいて人殺しは許容されないものだが、私達は生き物として人殺しは許容しているのだ。自身の居場所を守るために、他の人間が死のうが構わない。特に男性は命の価値が低い。それらが社会、文化の隙間から分かってしまう、見えてしまうからこそ、男性の自殺は女性の倍ほどもある。30歳の男性と女性が自殺した時、大きな問題となるのは後者である。過労死で男性が幾ら死のうともあまり社会へのインパクトはなかったが、女性が亡くなれば話は別。
こうした自然な態度は命の価値を人間自身がそのように考えているからだ。男性は戦って死ね。自らの暴力性で勝ち取り、奪い、居場所を作り、そうやって死んでいくしかない。多様な価値観がそれらを否定するが、私が生存してきた場所ではやはり性役割に縛られて来たように思う。だからこそ私は死にたいのだ。この人間という生き物から消え去りたいのだ。
繰り返し叫んだところでそれらは疎外を得ただけだ。
哀れな化物め、この場末のブログから出て来るんじゃないぞ。お前は底で唸り、呻き、搖動し、人間ではないのだから、この社会に出て来るべきではない。器官には人間達の死が司られた。世界観の重なりは疎外器官(独身器官)を生み出した。その中から化物が現れる。私はその化物に人間を貸し出して、私は人間ではないと嘯く。囁かれる声は幻聴ではない。私自身の敵意、不安におののく感情がそれを引き起こしている。本格的に太陽に焼かれなければ私の生存はない。
人間は死を選ぶ器官の存在を想像上だけで行ったが、それは実在す
自殺は制御可能である。環境の一つ一つに織り込まれた社会からの
全てが現実から離れる。人間は殺しを目の前から遠ざけた時から、
目の前にある現実は現実感を失い自身の世界観だけがこの地に広が
私達は愛によって殺され、愛によって居場所を得る。この社会の愛により私は排斥されていく。それが持続可能なよりよい社会、SDGsなのだろう。