人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

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消え去る前の小話

 心臓が捧げられたのだから

 もう書くことはないんじゃない?

 そうは思っても私は文章の亡者である。仕事も出来ず、何ら価値のあるものを生み出せず、このような文章を書くことだけに特化した人間だ。会社では何を言っているか分からないと言われ、何をしたいのか分からないと言われ、私は価値ある人間ではない。しかしながら文章を汲むことだけは一人前に出来る。もしかすれば妄想症の意味不明を連ねているだけかもしれないが、誰も見ていないのだから一人前だ。

 人間が作り上げる世界観という構造が重ね合わされるだけで、それを媒する接続子が何かまだ書いていなかったので、私は書かなければならない。死が世界を覆う前に。

 接続子とは人間達の世界観を重ね合わせる為にあるもの、私達が様々な行動や言動に指向性を持たせる状態を生じさせるものだ。具体例を挙げれば数学や物理の領域は私たちの界観、構造を接続する。地面に物が落ちる、風が吹く、数式は数式以上の答えを持たない。マウントを取り合う、所属が異なる者を排除する、種の特性からやってくるもの、これも接続子である。その中で一番強力な接続子が私が今このように綴っている文字である。様々な概念を小さな情報量にまとめ、そこに並ぶ文字は概念の指向性を形作る。文字は人間だけが持つ特異な接続子である。(この地球上においては)残念ながらクオリアが存在する為に、私達の世界観は完全な接続を行えない。また、学問の細かいところへ入っていけば観測によって得られるがためにそれらは極めて接続子的な振る舞いをするが、重ね合わせである。とも表現出来なくもない。今回はその話はせず、接続子として扱う。
 一方重ね合わせは人間が言語による抽象化、概念化を総合して作り上げた世界観、この概念の近似が重ね合わせの状態を生み出す。人間がグレーな存在であるのは、そこから出てきたから。接続子は重ね合わせの世界観と非常に近接しており、ともすれば同様の意味にも取られるかもしれない。しかし、接続子はそれ以上でもそれ以下でもない。ただ接続されるためだけにあるのだから、それらは綜合されないし、それらが組み上がって世界観が形作られるわけではない。あくまで、世界との接続により世界観を生み出すのは人間だからだ。接続されたものから世界を汲み取り、世界観を構造代謝<または腐敗>により作り上げる。未完成の王国が人間の正体であり、人間は完成されない。構造代謝のプロセスが完成させられたとしても、人間は未完成の王国を背負い、そして完成を夢見るままに待ち至る。皆それが完成に至ることはないと知っている。

 構造は代謝される。個人が作り上げた世界観は、例えばタトゥーを入れた人は一般人でないとか、バズったら宣伝、といった行動や思考を生む。反応が生き物であるので、常に他者から、マスコミュニケーションから更新され続ける。世界観が更新される。構造が代謝<または腐敗>される。ここを見落としてはならない。ただ唯一これだけを信じていればいい。これは構造が滞留し腐敗に至る原因である。かつての共産主義、かつての宗教戦争、野球、サッカー、運動会の大縄跳びに至るまで、ただ一つを信じる遊びは蔓延る。それが社会性だから、一つの指向性を持たせられれば人間はそこへなだれ込む。狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。SNSにより構造腐敗を引き起こしている部分と代謝が起きている部分、注意しなければならないのはここだ。イデオロギーは道具だが、それらを全て資本主義に割り当てる。それだけでは辛さや間違いを生む。全て生きるために必死にならなければならない、障害があれば生きられない時代に比べてよくなったが、穏やかに生きるにはまだ時間がかかる。また、自身が沢山の称賛を得るという妄想が得られるが故に自己顕示欲にまみれた過剰な表現や妄想を現実のように語り自らの構造を腐敗させる。

 共有される理論、機械的な部分が接続であるのなら、機械が模倣した自我は何者か?

 無意識に享受される死
 哲学的ゾンビ

 機械との接続か、反応そのものを接続しなければならない。意識とは何か、意識はどのタイミングで現れるか、無数の選択問題を解けば良いか、その間に意識の働きが生ずるのか、単なる設計変数を定め、外側からは選択による意識を見たところで人間には判断が付かない。無数の変数を設定して、人間のような行動を取る。そこに意識があるのだとすれば、副次的なものが意識となる。何か意識の中枢器官があるわけでもなく、継続的生存の為の選択が行われる中から生じるもの、現象の一つ。私は前頭葉の衰えを感じ、感情を抑える働きが以前よりも弱まっているのを観察した。
 体を何処かにぶつけた時に沸く怒り、叫び、恫喝、これを発すると決めた私が意識である。0.1秒前には決められていた行動、①体表のセンサーより伝わった情報により②脳と神経のコブが働き、③外側の四肢が動き口が開き鼻腔は膨らむ。④結果、怒りという感情が観察可能な形で生ずる。意識は①により選択される全ての綜合である。①と②の狭間に存在する流れであり、量子的振る舞いであり、それらの現象を意識と呼ぶ。電子が媒介し、そこに現れる。
 私達が普段観察できるのは①と③である。これまでの経験から類推の可能性を生み出し、受けたものと反応がわかる。
 そうやって、人間は他者の自我を類推する。意識を想像する。そこに生じる接続こそが元型でもある。

接続

 私たちの構造は接続により代謝または腐敗する。繋がる行為が構造を作る。妄想の中で自身の神性を確信し、世界観の重ね合わせが消えつつある者、分裂者であっても世界との接続を土台にしてそれを作る。(尻から太陽光線をきらめかせるように、私の太陽礼賛や、自らを太陽神の生まれ変わりと信じる者、キリストの生まれ変わりと信じてやまない病室の男、環境兵器の存在を実しやかに信じてい陰謀論愛好家、これらの人間は他者との世界観から遠く離れたように感じられる。しかし、太陽はそこにあり、神は形骸化した形態として続き、台風や地震は皆が観測出来る事象である。それらが世界との接続なしには得られないものであることは自明である。)
 ここで一つの疑問が提示される。私たちが生きる社会の仕組みは、構造代謝により現在の形がスタンダードとなった。この資本経済は、人間を日々の労働から解放し、週間、月間、年間単位で労働と稼ぎが担保されている。(Uber eatsなど、日雇いの利便性、価値の見直しは生じているが、安定と余暇による思考、活動がしっかりと出来るのは休暇や給与が約束されているからで、そこから離れれば途端に不安に襲われる。しかしながら怖がりな人類は子供の学費、老後の資金、結局死ぬまで資本が失われるのを恐れ続ける。だからといって反動的なマルクス主義に落ち込み、それが正しさを持つのは間違っている。頭をすげ替えたところで人間は個人の利を最大化する哀れな生き物なのだから、機械的な理想を謳う世界観は人間には出来ない相談だ。)だからこそ資本を稼げる者から税を取り、弱い人間も救われるようになり、ベストとは言えないが、それなりに代謝している。
 しかし、この代謝は本当に腐敗を起こしてはいないのか。ちゃちな金稼ぎや射幸心を煽るだけのロクでもないビジネス、至る所に見られるこれらは代謝の裏で必ず生じる腐敗だが、それが完全な社会の腐敗を引き起こすことはない。
 だから私は一つ個人に目を落として考える。

「資本化される自我の接続は構造代謝であるのか?」

 バズる、世界観の薄く分かり易い重ね合わせは、広告として機能する。世に蔓延るインフルエンサーをハブとして個人が資本化される。金を生む、こうした行為が代謝を続けた先にたちは豊かになるのか? それは腐敗か? イデオロギーや主義は接続である。それは神でも是でもない。私たちが接続され重ね合わされる世界観はただの構造であり、そこに確実なものなどない。接続だけが確実にあり、変化することはない。変化は構造に生じる。
 ただ唯一の資本化こそが是とされる社会(とは言っても資本は増大させたいのが人間のサガだ)は病んでいるのは間違いない。人間は社会性を持ち、その指向性で安心するが、その過剰適応は構造腐敗である。他の目線から社会を見て、人間として生きなければならない。しかし、それがなければ私のような弱者は踏み潰され、成人するまで生きちゃおれまい。
 このまま続ければ死ぬ瞬間まで労働者として生き、老人になろうが死ぬまで労働である。人間は楽にならない。死んでいた者が生きながらえても辛いだけだ、それを無能と笑う。
 死なないために資本化の波に乗る。すると現れるのは、歳を取っても幼稚な人種差別的発言や他者のからかいで金を生んだYouTuberである。彼らはそのように自身をコンテンツ化、資本化することで金を稼ぐ。そのキャラクターから降りることも出来ずにそれを続けるしかない。最早それでしか稼げない。自己は自我は資本化されている。稼ぐことと自分であることが一致する。その構造から去ることは出来ない。代謝が腐敗に反転する瞬間が何れやって来る。

 金は虚像でしかない。手段に溺れ、構造は腐敗した。
 それが無ければ生きられないが、多少それがあったとして、人間は豊かにならない。しかし金を稼げなければその機会すら限定的になる。
 そこで先に上げたyoutubeなどの手段で金を得ようと誰かの真似をする。

 資本的経済活動によって方向性を固着された私達の接続は腐る。加速主義によってシンギュラリティが生じたとしても、この活動の強化と方向性の固着は人間:意識という現象、これらが1-0の性質ではなく移り変わるものであり、その代謝は構造を保つために確たる方向性を持たない。(方向性を持つのは接続である。)単一の方向に偏った社会、世界はしばしばディストピアとして描かれる。身分証明書を売り払った中国の貧困層はほとんどの活動を制限される。自由と責任が上手く負えない為にポリティカル・コレクトネスは腐敗している。どうあっても様々な特性持つ人間を平等の意識で扱うことは出来ない。だからルールを作る。

 参考までに下記を引用する。

アカデミー賞、作品賞の選定に新たな基準を導入 キャストやスタッフにマイノリティ起用を求める(ELLE ONLINE) - Yahoo!ニュース

基準を見るとわかるように作品のストーリーだけでなくキャスト、スタッフ、さらに宣伝や配給、資金の調達に至るまで映画作りのすべてのフェーズに人種的/民族的マイノリティ、女性、LGBTQ+、身体に障害を持つ人が関わることが求められている。またこれらのマイノリティをインターンシップや有給の実習生として採用し、将来的な雇用のチャンスも提供するよう求めている。

 ビジネスとして、マイノリティが不利益にならないような活動。これは当然進められるべきで、全ての人間に全ての機会は与えられる必要がある。

 この評価の在り方のお陰で日の目を見る人はいる。しかしながら、ただのポジショントークで利益を引っ張ってきているに過ぎない活動が目立っているように感じる。グレタちゃんなどの活動や一部のアイヌ民族の活動をみている限り、それらは組織的で利権の匂いがある。そんなもので機会の平等が得られるとは思えないし、歴史や環境を守ろうとしても結局それが強権的に是として行われる形は歪みを生む。果たして、作品にマイノリティが関わるのが必然なのだろうか。人間が平等の意識を持てないから、ルールを作って、それによって構造が代謝され平等に近づくことが出来る。そうした形態から入る西洋的な思想にも思える。神の教え。

 作品を作りたい人が作る。面白いと思ったものを世に出す。過度に差別的な表現や露悪的な表現があればそれを無くせ。まるで人間は綺麗な絵空事の存在として空想される。現実には地を這い、世界すら理解することも能わず、確たるものが無い中で代謝させなければならない人間が、理想を間違った形で社会に押し付けている気がしてならない。そしてそれを評価する、それが価値あるものとして構造が代謝される。

 面白い作品を作れなくなってきているから、そうした付加価値を付けようとしているのだろうか。

 (常に希死念慮が募る)

 私は間違っているが、世間はもっと間違っている。

 良い悪いをはっきりと決める。これが社会のルールだからと決められたもの。この流れに疑問を呈し、行き過ぎた活動とならない様にしなければいけないと私は考える。だから自身が正しいと思ったことをやる。接続される世界観、構造を腐敗させてはならない。私は自身の構造を破壊する。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火