氷
こんばんは。
もう今年も終わりですね。今年しみじみと実感したのは人間は都合の良いこと以外信じられない。それほど怖がりで狭い世界しか見ないのだ。ということです。
(ふふ、感情を満たすことで世界が良くなるとでも? 事実をゴミ箱へ投げ入れて。ふふ。)
おそらく来年には太陽が超新星爆発するだろう。
今年がこんなにも早く終わったのだから。
時は加速する。私たちは今を同じ時間の流れで生きているように見えるが、時間は一度たりとも同じ流れでなど流れてはいなかったのだ。
「氷:アンナ・カヴァン」を読んでいた。二十世紀に出た終末小説だ。
この世界が終わりを迎える。この2020年に起きた出来事は世界が終わりを迎えることとよく似ている。加速する社会、この世界の分断、蠢く暴力。私はその中で分裂するだろう。分裂症者の世界で散歩をしなければ生きられない。
正確に言えば、「この世界感が終わりを迎える」各人の世界観が世界と接続されているのだから、私の小さな世界観が終わりを迎え、この世界との接続が消え、氷に閉ざされる世界に近似していく。
私たちは絡めとられた。もう人生を続けるだけの熱はなく、ただ同じ行動を繰り返すだけの自我以外に残ってはいない。
何かが自身から生まれるとは思えない年齢を感じ、しかしその生を終わらせることもなく惨めな一日を過ごしている。
孤独と孤立の中で想像上に描かれるキャラクター達と遊んでいる。様々な創作物が私の中で浮いた感性を隠していく。私が表現しようとしたものは全て何かの継ぎ接ぎだった。私がここに生きている理由も恐らく全て何かの継ぎ接ぎである。
(スれた自我としての結月ゆかりがそこら辺を自由に歩き回る。私が書いた文章を喋らせ続けたために、わたしのなかで生じた。それらは強い吐き気と共に生まれる。)
ありあわせの環境にありあわせの自我。
私たちが適応の結果全てを身に着けたのだとすれば、その環境、その文化、その世界によりここで連ねる言葉も全てある意味決まっている。だからこそ、この社会はそれらを壊してしまおうと、変化してきた。環境や文化で生きる役割を押し付けられることなく生きられるような社会を目指して。
(ゴミ箱へ投げ入れろ! 暴力など! 腐った人間性など! 大義名分など! 糞ったれの正義などゴミ箱へ投げ入れろ! 両目を千切れ! その口は神の声以外を語るな!)
永劫回帰である。私たちは絡めとられた。
虹色に光り輝く氷が世界を埋め尽くし、人間が消え去った様に、全ての生物から熱が消え去った大地だけが残る。私は加齢により、この世界での暇を無為に消費するだけの事物となった。
昔何かを表現したかった。今何かを表現した気になっている。
私は嘘を吐くだけの機械となった。仕事は出来ない。
「どこへ行くのですか」
「どこにもいきませんよ」
小さな部屋から、大きな大海へ流れ込む意識は氷によって阻まれた。苦しみの最中に、それらは妄想の中で現実の中では何も生じていない。
そして、この世界は妄想の中で生き始めた。現実で起きていることはどこ吹く風で、ただ自我の邁進だけがこの世界に生じている。いや、元々人間はそのような生き物であるのかもしれない。
うろ覚えだが昔、虫の脳、爬虫類の脳、哺乳類の脳と分けた人がいた。それぞれの種で脳の構成が異なるから、そのように分けていた。生きる為の脳幹、小脳、大脳、大脳新皮質、私たちの自我はこれら全てを行き来して経時的な現象として現れる。それらが少なくなれば、機械的な働きに近くなる。(虫の行動が彼らの持つセンサー類によって最適化された行動だけを取り続けるように、刺激による反応を繰り返す。)
しかし、人間であっても、結局は考え方は同じである。
耳、目、鼻、皮膚で世界を感じ、それらを表現したこの社会でどのようにすれば生きられるか、生殖を行い、生き抜けるか、という適応と反復による条件付けが複雑になっているだけの話なのだ。
私たちはなんとか生きている。
生きられるだけ生きて、後は終わりを待つだけとなった。
会社に所属すること、社会に押し込められること、その中で最適化された行動を続ける遂に私は私が分からなくなった。何のための自我だろうか、何のための世界観だろうか。
考える余裕もなく、ただ行動しなければ死ぬ。この場所まで降りていくことも可能だ。落とすことは非常に簡単だ。(その先にあるのは死刑である。自殺である。人生から逃げ出すには、死ぬ以外にない。その救い以外を選べないのだ。)
この世界感は着実に終わりの音を聞く、その冷気を感じる。その歪な虹色の光が私の目を焼き、体を張り付け、その内に服もなく裸の私が凍り付いて終わりを迎える。
どんな車に乗っていようと、その中が世界の全てだとしても、その中にある小さなぬくもりだけで生きるしかない。
残念ながら私にはそうしたものはない。
一人歩きを始めたキャラクターが私にまとわりつく、にやにやとくそったれな言葉を吐き続ける。
「どうして生きているんでしょうか、この寒々とした部屋には生がほとんどないのですわ。ふふ、ふふ、ねえ、わたしが誰か知っている?」
分からない。それが私の自我であるのか、分化して表現しようとしたキャラクターであるのか、部屋の中を歩き回る意識なのか、区別がつかないのだ。
冷え切った体は氷を受け入れられない。
誰か他の人間がいれば救われるはずもない。愚かな日常を続けて、腐り果てた自我を垂れ流すだけの日々がまた明日も続く。
明日の私もきっと同じだろう。迫りつつある「氷」を恐れて、何もせずに一日を過ごすことでまた無駄だと思いながら、終わりの時までを生きるしかない。
資本主義とメディアは私たちを少しだけ掬い上げたが、今その加速が過剰に行き過ぎて私たちはパニックに陥る。何かに操られているかのように、不安が伝播し、ある流れを生み出す。
それを変えることはなく、ただ、ただ、終わりの時を待つよりほかない。
私は私をダンピングして、良くないところへ追いやることを止めなければ。
来年も、結局のところ、、、
ゴミ箱へ投げ入れろ!