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消え去る前の小話
/具体化出来ないのだから/
私は現実的な思考が出来ない。地に足つけた思考がままならぬ。 技術者として頭を使うというのは向いていないのだ。 どう頑張っても思考は宙を舞い、私が説明すれば具体性がない、 繋がりがない、計画がない、 いつまでに何をやるかが分からないといったことになる。 どうやら私の思考は浮いているらしく、 短い言葉で簡略に分かりやすく伝える行為から離れてしまっている。
ただただ死ぬ勇気もなくここに立っている。このようにしてじわじわと死んでいくのが私だ。
この先の人生は蛆に喰われるだけのイベントのない労働が延々と続 く。 この無為な選択とこの世界の有り様が人間らしくも生きられぬこと を教えてくれる。社会的に大きな価値を生み出す仕事を動かすこともなく、誰とも知らず死んでいく。私達大多数が名も無き労働者である。
一度でいいから誰かを愛してみたかったが、最早それは叶わぬ。 この自我の適応はそこから離れちまった。耳を塞いで、 目を閉じて、私は名も無き労働者であり、 太陽により顔を上げることすら許されぬ奇蹟の巡礼者である。 地面以外見ることはない。上から焼け焦げて消え去る為に、 私は生きながらに焼かれなければならない。 その疵が私に与えられる愛であり、等しく苦しみである。
人生とは艱難辛苦である。だからこそ信仰が必要になる。 私は妄想の中で太陽に焼かれ、その焦げた背面を感じ、 芯まで熱された体を持つ。信仰が消えたのは、神が消えたのは、 生き辛さが直接的なものでなくなったからである。 生きる苦痛を和らげる為の麻薬は娯楽の用途が強くなる。( アフリカに氾濫するニャオペのように貧困が広がる薬物は古き時代の使 い方に近いだろう。)明日死んでいるかもしれない社会で、 その恐怖や無為な人命が心に与える影響は人々を麻薬に誘う。 弱いから、貧困だから、手軽に得られる快楽、 現実を忘れる為の支離滅裂、悪夢染みた酩酊、 人生に救いなどないのだから、 女神に身を預けるのが悪だとは思わない。 そこに生じる資本活動が悪いのだ。 私はその甘えを人生に許さぬから、 このようにして太陽に頭を垂れなければならない。 誰も彼もが空へ射精する悍ましき社会から目を逸らす為に、 私はその一部であることを認めたくないばかりにこのような信仰を 生み出したのかもしれない。
特に苛烈なものはなく、ただ焼かれる。それを想像するだけでいい。
私達は首を垂れて焼かれる。焦がされる。
世界は観念的なものと、触れ得ぬ現実がある。 類推し知覚したものの全てが人間の、動物の、 この世界の全てである。私たちの貨幣経済、資本論から始まり、 何かが起こるのではないかと思うこの社会の働きは、 先進国を過去の世界へ追いやる。増える寿命、長引く生、 長く生きた果ての池袋暴走事故。
私たちは使えないインターフェースと時が経つほどに簡略化され過 ぎて使えなくなっていくプロトコルを手にし、 元々あるファームウェアは十万年以上も前から大型アップデートさ れることなく私たちの文化を積み上げた。
その結果、人間は長く生き、その老化により社会は自壊を始める。 それは一つの萌芽だろう。 数百年手にした資本主義はそのようにして変化を始める。 全てを自己責任で片付け、 ハイパボリックに新たなる極点へ向かうのか、 結局その関数の重ね合わせで私たちの社会は成り立つ。
何かを究極へ推し進める行為、その過程、 これらは全て破壊を生み、そしてまたそれらも破壊される。 それらは理想と呼ばれる。理想は非人間的である。 それが実現することがないから理想なのであって、 必ず破壊をもたらす。
もしくは人間は老化し滅されるものであるから、 そんな生き物が考えたものは全て終わりを内包する。種、 個を先へ伝える遊びを続ける。 この地球も宇宙も必ず終わりを迎え、その後には何も残らない。 そうして次に極点から現れ、広がり、また極点へと旅する。
その繰り返しが私達であり、この宇宙なのだ。