Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

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消え去る前の小話

 トランプを支持 = 白人至上主義 ∴バイデンを選ぶ。

 人間に多様性は扱いきれない。社会性は細々とした同士を作り、そこから外れた者達を攻撃、対立、反発しては自身の社会を拡大させる生き物なのだから。概念を広げれば私達は人間という種として協調して生きていく。そんなことが出来るのならばその例を示さなければならないが、この社会ではそれは実現していない。

 差別は単一国家であれば大きな問題として取り上げられることは少ない。容姿年齢性自認病気障害、起きるとすればそれが要因だ。人種という広い範囲ではない。

 近代の人種差別はアメリカに端を発する。黒人差別は大きく取り沙汰されるが、アジア人に向けての差別は大きな活動とならない。黄禍説。そもそも認めようとしなかった事実もある。学生時代、私は知らなかったが、中国を脅威に感じたが故に彼らを排除しようとする動きが昔有った。そうしてまたコロナ禍によって(一部の事実を見ようとしない者達による)アジア人に差別が引き起こされる。多くは無知による偏見、学ばなくとも学びはある。それさ社会を通して得られた経験だ。それを自信満々にひけらかす。上記の発言の動画をSNSで見かけた。誰かがああ言っているから正しい、関連の無い物事をあたかも関連があるように振舞わせ、屁理屈しか言えないのを呆れて離れれば、逃げたそっちが負け。人間は十代から死ぬまでほとんど変わっちゃいない。何かを学ぼうと対立すれば同じようなものだ。

 短絡で間違いと分かる社会活動の数々に辟易しているが、そこから出来得る限り多様な幸せを実現するのは可能だろうか。2歳児を肘内するような男が、子供を虐待するような親が、そうならないようにするのは無理な相談だろうか。

 多様性とは名ばかりの欠陥。建前上はルールを打ち立てることで可能だ。しかし、そうやって人間の居場所を窮屈にすることが多様性なのだろうか。持続可能な社会なのだろうか。(増え続ける人間は地球のキャパシティーを越えてしまうが、そうやって荒廃するのも自然の摂理である。生き物が全て滅ぼうが地球は太陽の爆発までそこにある。保護しようが、保護しまいが、それはエゴである。)

 150年。国が出来て200年あまりの国家はそのほとんどが差別と征服と、自由を勝ち取れ。ただただインディアンは殺され、アボリジニは砂漠へ追いやられ、アタワルパは御輿から落とされる。

 歴史は語っていた。暴力装置を改造しなければ。先日ロシアで70人ほどが撃ち殺された事件の映像を見ていた。散弾銃で砕かれた脳、逃げられず背中に撃ち込まれて斃れる命。細長い男が弾を込め、淡々と殺しゆく様、虐殺が組み込まれた私たちの種。だからルールが無ければ私達は多様性を担保できない。

 駄目だがやらなければならない。

 それなりな努力では崖の縁に手をかけるだけである。

 やる必要があるのは、生活を続けるため、老いに殺されないため。年老いれば思考は短縮化する。①〜⑩の手順があれば①の次は⑤や⑩が選ばれる。
 それが悪いとは言わないが、ショートカットするほど方向性は決められてしまう。確たるものは接続だけである。世界観は代謝を続ける。社会で生き、繰り返し体験してきた物事が強化され、短縮する。人間は楽をしたい生き物だ。この社会に横たわる無数の重ね合わせがとても厄介で全ての人間が是とする社会は未だに実現していない。自我がある限り実現しないのかもしれない。

 私はこのように地下室の散文で発狂している。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火