Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

211015

消え去る前の小話

 僕は何者でもないものになりたかった。高校生の頃、僕はシステムエンジニアというものになりたかったと嘘を吐いた。そうして情報系の学習を大学で始めた。数学はあまり出来ず、物理はそれなりに出来た。常に現実に把持され続ける僕は純粋な理論である数学とそりが合わなかった。ただの何も出来ない人間だとよく知っていた。アルバイト先の労働の問題を投げ捨て、どうしてかお金の問題は誰からも教えてもらえなかった。両親に聞けば調べろで特に何も言われなかった。何故、資本経済を生きる中で学生時代にそれらの話が隠されているのか、必要なら勝手に調べるだろうという手放し。僕らは何も考えなければ何も考えないままに大人になれる、社会人をやらされる。そうして都合よく新卒の型に流し込まれて死んでいく。だから何者でもないものになりたい。

 消えようと思っていた。今は友人たちもいて、僕には居場所がある。誰かと食事に行って話をして、様々な経験を積んでいく。院生に怒られる、僕は何も知らないから。何も出来ないから。少ししかない知性をもって成し遂げられるものはなにもない。そうやって僕は学生時代をそれほど有効に使えていなかった。ちょっとした楽器演奏を続けるだけの興味と、文章を積み上げることだけが残っている。誰かの散文詩僕のなにものでもない文章だけが僕を表現する。それでも生かされる必要がある。楽しいと思い込め、これは美味しいのかおいしいのだ。どこか浮ついた人生を歩いて来たから僕はただの嘘つきで素直な弱い人間としてこの世界に存在している。だから消えようと思っていた。社会に出ても自己を保てるほどのパンと葡萄酒を得ることは出来ないのは分かっている。お前のような人間はタクシー運転手だよとコンビニで言われたような気がした。言った人はその仕事を心底見下した様子だったから、職業には貴賤はないけれど人間は職業に貴賤を与える。だからその目が気になる僕はその中で機能不全を起こしてしまうと考えていた。僕は人の中に生きているが学校生活は社会の縮図だからきっと就職、正社員として雇用される結果も今と変わらない。なにをしていても付きまとう虚しさに耐えられないから、僕は消えようと思っていた。出来ないくせに、そんなことを思っていた。

 都内を彷徨う。様々な展示物を見て様々な文化を知ったつもりになっている。エジプトのミイラ、沢山の装丁、絵画、記号、イメージ、シュルレアリスム僕は言葉を並べ立てる。それでなにか自分が賢いものになったような気がする冷笑的妄想がちょっとだけ得意になっただけなのに、それで自分の価値が上がったような勘違いをしている。僕が彷徨って得られたものは人類の歴史から距離を取ろうとした意志。人間の中にいることに耐えられないのはそこで恵まれないからか、不遇だからか、それともそんな言葉を発するレベルでもないほど恵まれた人間だからその中途半端な立ち位置にいるからか、そういったぐちゃぐちゃとしたところからはっきりとした自己が欲しかったのか。それらは一人で散歩をしている時、誰かと惰性の会話を続ける時、ふと僕の元へやってきては無気力を誘う。何者でもないものがそこにいる。それらはいかなる形をも取らずいかなる形にもなる。自己の破滅さえももたらすような行動が僕の中にある。僕の中にある印象は徐々に友人や様々な人間から遠ざかり手に取ったものだけが残っている。

 消えた。手に取ったものだって落とせば消える。いつかは塵となって消える。そうした重さが僕と他人との距離感に存在している。僕はおそらくどこへも行けずに彷徨う。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火