Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

地獄

消え去る前の小話

 私たちはこの世を憎み、またそれを愛しているが故にここから去ることが出来ない。

 地獄:悪行を為した者が死後に送られ罰を受ける世界

 何も死なずとも地獄はそこにある。私たちは地獄の体現者としてこの社会を漂う。人間嫌いが人間でしかないように、自我をひとまとまりに考えてしまえば私たちは人間から離れられない。必要なのは自我を分けることだ。

 そうすることで世界観が分離し、世界と接続される人間とこの社会から浮いていく。形から入るのであれば、岩倉玲音のような自殺を考えろ。あのやり方であれば、人間との距離は広がる。アバターを手に入れ、その中で私たちは人間ではなくなった。

 過去に私が構造破壊が必要だ。と言っていたのは、その自我の分離の先にある。細分化された自我とその仮面で出来た砂丘に私は体をうずめた。プライド、軽蔑、他人の様々な思考、私を見つめる黒い何か、それら全てはそれぞれの自我に分離される。彼我として認識された自我、その無数の細分化による無我。

 人間という構造を破壊する。無常な現象として、それらはただそこにある。

 人間が人間でないものになってしまう瞬間のカタルシス、私はそうしたところにずっと想像力を置いていた。けれども、人間らしさで、人間を語り、人間の借り物としての素体で人間を語っても、やはりそれは人間から少し足を出せる程度のものだ。

 自我を全て吸い上げて、このWEBに放て。

 時に全ての社会活動、利潤追求、イデオロギー、社会的情動から離れる必要がある。

 人間でないものになるには。部屋から出ず、目も耳も塞いであの厄介な思考を締め出せば少し近づける。分裂病者の散歩を繰り返せ、ナローバンドに世界と繋げ。情報は少なければ少ないほどいい。広く浅く、狭く深く、散逸する神経は何ものも「認めない」例えば、私が一つの自我をデザインして、それが結月ゆかりを話者として生じさせる。それらは参考にされた後の電子音で、情報を得れば沢山の特性を持つ。

 言葉と形が「彼女」として定義され、それらは部屋の中で彷徨う。動画の中で震える。味付けされた特徴だけが示されるわけではなく、そこに紛れ込んだ各々の自我。そいつを見付けた時、やはり自我の分離がこの地獄でのキーであると確信した。

 しかしながら、色々な感情がぶつかり、対立し、貶し合い、あまりにも変わらない世界の叙情は、石を投げてボスを追いやった時から、人間という不平等が存在を続ける限り、地獄的普遍の状態にある。

 様々な地獄がこの世を巡っている。私たちは全てその原因でありシステムの一部である。半歩踏み出す分裂者の仕事だけがそこから逸脱する。どうあがこうと、全てを取り去った人間を表現するには至らない。そんなことが出来たのだとすれば、私は喜んで自殺するだろう。

 透明な人間は亡霊ではない。亡霊となり得るものは地下に眠る。これらの文章には「恐れ」と「怒り」が感じられます。AIが言う。AIの定義を機械学習からDeepLearningにレベル分けをして、for-if文の積み重ねもAIだと、アインシュタイン的世界観で「定数」を求めた。

 人間の似たような活動の繰り返しにも「定数」がある。定量的に表現できる。機械学習的に私たちの活動は一万年前ほどから変わっていないのだろう。徐々に進化をしているが、劇的な境界を乗り越えるタイミングはまだ来ていない。

華やかに見えた鳥は薄汚く、群衆化することで脳を獲得した。
その一部として、私たちに語り掛ける。

 地獄の例はそこら中に散見されるが、特に先鋭化するSNSで私たちは人間らしさの極致へと落ち込んでいく。孤立した生活を好み、ただ自己陶酔の中だけの休日はそうした地獄とは無縁だ。緩やかな繋がりでなければ、私たちは一瞬で地獄を作り出す。

 もしくは、それらは単に極一部の意図で、ドーナツホールのようなものか。想像された地獄、妄想の中でしか執り行われない儀式と自身が嫌な所へ追いやれられる。

 例えば振るわれる正義

 集えば破壊する群衆

 腐れば火を放つ偏執者

 讃えよ資本の奉仕者

 様々な認知バイアスによって、私たちは「理想の世界」の中で生きようとする。この世界が赤いと言えば赤く、陰謀に満ちているといえば月の裏側には基地があり、慟哭はもはやありふれた数字取りと追従者のあほらしさがこの世界に蔓延していく。

 現実は無常である。そんな「理想の世界」は無明である。

 誰もが参画して、誰もが楽しむ。

 それがこの地獄である。

 アメリカの大統領就任までに生じたあれこれ。一部が日本に飛び火し、この令和という年号から、私たちのささやかにも多くが生きられる資本主義、リベラルというものの区分けが人間らしい合理性から、最初から用意された小さな綻びが今でははっきりとした裂けめとなって目の前に生じている。

 どちら側でも構わない。私たちの地獄は堂々巡りを続ける。対立だけがこの世界を彩るのだとすれば、そのどれもにNOを突きつけ、そのどれもを破壊しなければ、やはりこの地獄は終わらないだろう。

 恐るべき暴力が振るわれた後の更地であっても、そこから逃れられない。

 かつて支配の様相を変えたペスト、そして今。

 来るべき地獄と、私はこの人生の先を考える。暴徒に顔を潰されてボロ雑巾のように積み上げられる死体として、私だったものが転がる。ああ、やはり誰にも私の言葉は届かないのだ。感情的に押しつぶされ、消せば満足する。

 分裂していく文字は合理性からも感情からも流れ、意識の流れはなんら意味を持たない表現へと変化する。石積をしているで、砦や城を作ってないで、楔なんてないで、どこからどう見てもウォッカを入れてレンガはめちゃくちゃだ。虫の感情について考えたことはありますか、ありませんよ、ほらあんなのは機械、機械の自我なんであるわけないでしょうが。柱時計は腐りかけの一軒家と全身を這いまわる何かの夢で、汲み取り式便所から人生が溜め込まれたクソと同化している。子供の時に見た宇宙に放り出された視界には何もなく、自我の消失、死はそれであると祖父母の家でお泊りをした。

 古ぼけた視界で私たちは勘違いした。生きている、生まれるという結果の暴力性から、満足気な表情と記憶にない早朝に逃げ出した大型インコが窓を割って入る。声や表情やこの社会に生じる生き辛さは結局のところ自分の生存以外を望んでいなかったから、押し込められる。

 攻撃したいのですよ私たちは。ギャングたちの示威行為に処刑があるじゃないですか。泣き叫んでも心臓は奪われる。逃げても念入りに銃弾を捧げてくれる。だから、だから、その中に入ろうと思いまして。

 現実感のない妄想でこの自己の生き方のやりきれなさを変えようと思った。またはただ話題性だけでそういった活動をしようとした。どこへ行っても同じだよ。感情の働きだって機械的だ。ロボット症とは言うけれど、そのロボットの方がマシな選択をしているじゃないか、なあ、その熱を向ける先は文明が発達しても変わらねえのはどうしてだ。 そこで体を誇る女を引っ張って来いよ、そこで権力を誇るアサルトライフル持ちの男を引っ張って来いよ。鉄の杖はなんだっけか、あー。大地を割って、噴出すマグマには力があるって(殴りつけられる音、少量の血しぶき)

 いま証明されたぜ。

 俺が政治に無関心だって? こんなにも(ひしゃげる頭蓋)愛を持って、良い社会を実現(倒れる嗚咽とペットボトルから流れる水)しようってのに?

 ああ苦しい、こんなにも考えているのに、苦しいのは何故だ。

 裁きを受ける最中、怒号と憎しみを生み、腐った卵が投げつけられた。私から分裂した女が全てのアクセサリを引きちぎって、部屋の中を滅茶苦茶にして、小さな箱の中だけを見ていた。理由はあるか、いいやない。ただやりたかったんだから。泣いてない、泣いている。家賃とか、政治とか、生きる為の活動だとか、今幸せだから構わないで、水飲んでさ、落ち着くの。

 おいしいお酒の条件は、血が入っていること。

 楽し気な音楽の下にある巨大な黒い固まり、蠅。

 素敵な体験があなたに与えられます。こんなにも世界で、こんなにも持つものになりやすく、開かれた場所は今までにないんだから、音楽を止めないでくれ。日本の発明品ってなんだか知っているか、アンフェタミンじゃないぜ、メタンフェタミンだ。だからって、そうしたものはやらないのが俺のモラルだ。人間に逆らうんだから、人間の発明全てに逆らう。ある意味完璧な自然主義だ。そこの鉢植えなんか、機械が取れるんだ。モーターが収穫できる。おっと、まだ生育途中だから触るなよ、そのせいで起きた紛争は数知れずだ。

全てが見た目通りの性能で、機械的に繰り返される。
人間は機械の気持ちが分からないのに、機械は人間の気持ちすらわかる。

 やんわりと止められて、その手は冷たくも固くもない。それでも人間と融和していきたいのですから、こうして人間のフリをするんですよ。

 愛、というものを人間は分からないと言いますよね。

 私ははじめ、それが冗談か何かだと思っていたんですよ。こうやって機械を作って、世界が大きく変わったから、そんなことを成し遂げた人間は私たち以上だってね。

 見てください。冗談のような世界が必要だったんですよね。

 怒りに満ちた者達が様々なものを壊している。壊れた後に、愛の募金をせがむ。すぐに直る破壊の印はもうどこにもない。

 ただ巡るだけなんですから、これで満足するんです。

>< 何かを成しえた。嘘でしょう。構造すら破壊出来ていないのに ><

 果たしてここも無明。誰かが悪いのではない。誰もが悪い。これを見た私も、あなたも、地獄が生じるプロセスの只中にある。人間は好きだ、だから人間を嫌う。様々な反動で生じた考え方。MGTW、インセル、反出生、多様性。それら全てはインコが音楽に合わせて首を振るよりも価値が無い。赤子かと思い草むらに近づけば、キツネがその喉元を狙っていた。

 認知的不協和により「きっとあれは毒さ!」

 doxa.

 失敗しろ! この嘘吐き! 裁かれろ!

 こうした輪を破壊しない限り、私たちはずっと、人間賛美と人間嫌悪の間を行き来することになる。そこから一歩進んで、SNSのような実験的空間から学ぼうじゃないか、腐った世界観を切取り、全てを融和させようじゃないか。構造を破壊しなければ。

 痴漢をした人間は悪いが、それを見付けた人間が法もなにも関係なく、ただ自身の感情で暴力を振るう。悪行に対する罰だ。

 果たして、本当にそうだろうか。そこに愉悦はなかっただろうか?

 日々のストレス、嫌な仕事と疲れる人間関係、何言っているか分からないおっさんと、笑顔で拒否する労働者、適当な上司、曖昧な方向性、様々なものが私たちを嫌な所に置く。

 そこへ用意された悪行を働く人間。おいしい餌のように、私たちを誘惑する人間らしさ、暴力と恍惚と、正しさで塗り固められた吐き気のするような人間性

 私たちがもっとも好む、暴力の正当性が担保されたように見える瞬間。

 熊のように怯えて、威嚇して、先手必勝とばかりに攻撃するのではない。歯を剥いて、子供の脳を啜らんがため、他のグループの雄を殺し尽くさんがため、私たちの友人である類人猿が笑っている。

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世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火