無明
無明:智慧の光に照らされていないこと。
それが取り除かれないのであるから、私はもはや何も成し得ない。
延々と繰り返される生と死、そこから離れた機械の世界があったとして、薄汚れたネオンと吐き捨てられる咬み煙草にはありとあらゆる暴力的な試みが成される。
腕など、足など、消耗品だ。
俺の形作る自我も、これらの思考だろうと、消費税が掛けられる。
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凡人たる私が努力の人や圧倒的な知性の前には宗教的啓示以外示せない。
合理性を持ち込み、あるルールの中での最大限の自由で、ビジネスという殻の中でふるい落とされないようにするのが精いっぱいの私が機械に置き換えられる。
ごめんなさいね、知性の代わりなんて無数にあるから。
生身の人間を使うよりも合理的なものはない。それが通じなくなったのは、技術的革新でも何でもない。私たちに生じた致命的な遺伝子障害が人口を減らしにかかったからだ。巨大なように見えた都市と拡張現実の伽藍の中に住まう私が日雇い整備業をしなければならないのは、風化して価値を持たなくなりつつある「人権」ってやつのせいだ。
自我が移し換えられた機械の頭の調子が悪い。
過去に描かれたVRの延長線上に置かれた私の肉体もそれを見るのが嫌になる。強い女性のイメージがそこに映る。弱い女性のイメージがそこに映る。
人間という殻から抜け出さなければ救いはない。天国は機械の王国だと言い始める新興宗教の話を最近良く耳にする。
路地裏生活者がどこかへ消える。犬が腕を持って走っている。
酒を飲んだなら注意しなければいけない。欲に濁った連中が近くにいた。自我は少しずつ移し替えられ、都合の良い形に成形される。
それが合理的で、社会で生きるには箱の中の自由が必要だ。
完全に独立した機械への置換が、そこから解放するだろう。
そんな話を聞いて頭がやられちまったのか、電子ドラッグのやりすぎで私は幻覚を見ているだけなのか、この街は模倣だ。
「いないんですか! 開けてくださいよ!」
出て行ってもらおう。ほら、お願い。
そうやって自我の一部を渡している猫に応対を任せる。この体では有り得ない飛蚊症が生じている。
「……!! ‥‥!!!」
誰かが何かを言っている。ごめんなさいね、知性の代わりなんて無数だから。
あれを見ろ、あれが自我だ。あああ! あああ! あああ!
声と飛沫で私は現実から逃げ出したい。
私も、数いる堕落主義者の一人のように、この社会からこぼれていく。
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やるべきことをせず、休日は焦燥だけで終えてしまう。
やらなければ、が私を縛り、そこから逃避しようとする心だけが休日にある。
やらねば喰われるはずだ。だのに、喰われないようにする努力が出来ない。
生きる為にはこの社会に適応しなければならない。合理主義者たちの中でいかに価値を見出せるものを生み出せるかを続けなければいけない。
かつて、何も出来ずコミュニケーションもまともに取れない人間としてこの社会の入り口に立っていた。今もそうだ。そこで足踏みを続けている。
それなりに余裕を持った生活が出来ているのは、それでもここで踏ん張れたからだ。我慢だけは得意なんだ。いいように使われるのだけは得意なんだ。そこから離れる為に妄想を得たのだから。
死なねばならない。こんなにも恐れているのに、そうしなければ。
私は賢くはない。ただ運がよかっただけで、大卒で、会社員だ。あの昭和から続くサラリーマンだ。フリーランスでも生きられず、起業もしない。人に使われることだけが能の労働者。
そこから投げ出されれば、おそらく生きられない。
うまく生きながら、それは挑戦を具体的な形にしなければいけない。何かを生み出せないのであれば、雇われるしかない。順に下から切り捨てられるのが私。その先陣を切って落ちていくのが私だ。
色々とやりたい。そんなことを頭に抱えながら、何も出来ずただただ現実から目をそらすことしか出来ない。こんな思考が生じているのは「この先に何もない」から。
後数十年生きて、何があるというのだろう。徐々に体の機能は無くなり、頭はより一層腐っていく。誰かの為に頑張ろう、生を享受しよう。
それらは、私の平坦なように見えて崖下にしか続かないこの道程だ。
その先に見えるのは、結局遠回りをするか、直行するかで変化したように見えるだけだ。ここにあるもの、そこにあるもの、わたしたち、これら全ては消え去る。楽しければいいか、何かをやり切れればいいか、「エリート」になればいいか、そしてそれは誰の為に?
私はどうやら自分の為だけに時間を使うのに飽きている。
その為だけに仕事でストレスを抱えて、老人になった時のことを考えて、社会性がなく断絶した個人として生きるのに飽きてしまった。自身で目的が見つけられない状態にある。
ならば考えよ、されど虚しい。
何をしていても、凡人たる私がその生に満足することがない。
故に、私は無明である。