人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

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消え去る前の小話

 萎びたキュウリを齧り、青臭いウリの大地が広がる。

 スイカもニガウリもきゅうりメロンも同じだ。

 私はどうあってもあの引き込まれるような妄想から逃れられないので数年後の浮浪者は確約されたようなものだった。

 そんなことはない。「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせて見たりしてはどうですか。打ち消そうとしても、かき消されてしまうので手強い。何を言ってもその重力は強まるばかりで生きていくのが難しくなりつつある。

 まだ体は動く。文章が書ける。しかし、私はビジネスパーソンとして、技術者として、どうやら上手く生きられそうにない。

 気持ち悪く歳をとった私のような人間は大人ではない。

 死ねないから生きているのだ。

 間違いだらけの人生なら、嫌だと思ったことへ邁進すれば間違わないか?

 その考えすらも間違うのである。嘘つきのパラドックスと似たようなもので、必ず嘘をつくのだからそれは真実である。二律背反に落ち込む。

 言えるのは、死を望む私の思考も間違いである。間違わない道などあるだろうか、自身の世界観と社会システムが上手く噛み合った。私は目が粗く摩耗しながら回転していた。

 誰もが辛いのだから、という呪い。

 同じことだから、問題はあなたにある。クソ喰らえの思考。この社会が生み出した合理性は人間をフルイに掛けて残された者は捨てられた。

 単純労働の悪夢が続く。私はそうでもしないと生きられない。くだ巻いて文句を垂れ流し、それだけ。

 誰かが慕ってくれるから、いいえ。ただ苛烈に孤独を腐らせた人間である。人間の只中に於いて私はそのどちら側にもいないのであった。

 何者でもないが、それは糞袋と変わらぬ。誰かと関わる努力をしましたか?

 しませんよね?

 そうなのです。努力もなく喚いておるのです。

 何もしていないから悪夢に生きているのです。

「この際誰でもいいからさ」

「何を言っているのか」

 言い返したところで、あの冷笑、あの大将ごっこ、それがこの人生の総体である。総合体育大会、略して総体。ビジネスの皮を被ってやる総体は楽しいな?


 例えば浮ついた話のあれやこれやは私に一時たりともなかった。

 ⇒誰かと関わる努力をしましたか?

 例えば就職に際して私は単なる運のよさだけでこれまで生きてきた

 ⇒何か成果を残しましたか?

 例えば学校生活において私はあまり他人と仲良く出来なかった。

 ⇒会話のきっかけを作りましたか?

 例えば同人即売会私は薄笑いを浮かべパイプ椅子に座っていた。

 ⇒誰かと関わる努力をしましたか?

 ⇒しましたか?

 ⇒しましたか?

 ⇒しましたか? 

 ⇒⇒⇒⇒しませんよね?

 いつでも後ろ指を刺され。私に残っているものは何もない。この繰り返される散文だけが私である。その現象は私ではないが、それだが私なのである。存在の軽さに耐えられぬ。理想に据えた存在の重さに耐えられぬ。浮気者のしょうもない恋愛劇と地獄愛は構造的に似ている。

 浮気。

 そもそも誰かへの愛情を与えることもなく、また与えられることもなく、私は色恋の何一つ知らない。そこに渡された亀裂は修復不可能なまでに広がり、無限に落ち続ける。昼寝の最中に落ちるように慌てて目を開くもまだ落下している。

 私の年齢を考慮すればそれは異様なことだ。そこで培ったコンプレックスは酷く歪な人格を形成した。この自らに湧いてくる殺意と希死念慮もそれが要因の一つなのだ。

「誰かとわかり合う苦労もせず、分かち合うこともなく、隅でいじけてらあ」

 水槽の中で泳ぐ小魚、張り付くコバンザメをつついたところで私がいじけているのは変わらないぜ。

 何もないが、未だに高校生の頃の、

「そういうところが嫌い」

 といったあの女の言葉が繰り返している。

 具体的に何がイヤなのか、私には分からない。話し易そうな人間にばかり話しかけるとか、ズレたユーモアで困惑させるとか、異性から目が離せない意識の気持ち悪さが治らないだとか、さまざまなことが私の内奥で渦巻く。

「あんた拗らせちまったんだよ」

 ご名答! というわけでもないが、私の心臓を捧げよう。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火