Katsute_no_kigouのブログ

弱さの発露として世界を語ろう。それが遺書である。

人間の世界と私の構造は常に重ね合わされる。

310764

消え去る前の小話

 人間という現象は世界を薄膜のような世界観でしか理解することはない。数の多さで世界観は世界に近似していく。または予言者〈分裂者〉が啓示を受けたかのように得る世界観が近似している。動物としてのツールがこの世界を理解する唯一の手段、というわけではなく、概念化を行い(こうして並べ立てる文章のように)それらを文字で残した。だから世界に近似している。薄膜は肉迫する世界を丁寧にラッピングしていったが、個々の人間はそこまで丁寧ではない。

 体内の殺菌にメタノールを飲み干す。エタノールメタノールを混ぜればギ酸への分解を防いでくれる。そうした体への害、失明や死亡に至る反応を分からないのは世界観は世界との齟齬が大きいからだ。
 個人の知性などそんなものである。思い込みと経験という言い訳に逃げ込む。凄い人間に出会った時、私にはそんな経験がないから、そいつには才能があるから、私は賢くないから、そう言って目を背けた。

 それではいけない。どうにかしてそいつになれないか、得意なものであるなら尚更そうだ。絶対に負けないと思うこと。この世界で生きるのは薄膜を渡ることなのだから、その小さな知性を蹴飛ばしてしまうべきだ。

 しかし、どう考えてもそこには圧倒的な差が存在し、そうなる為の時間がかけられない。足掻いてみてもいいが、寿命(知性は60歳を過ぎて急速に劣化する。脳の衰えは20代から、前頭葉がまず先に衰える。感情が抑えられなくなる。パワハラや事件が起きるのはそうした人間の機能に依るものが大きい)として間に合わない。もちろんそれもある。与えられたカードを切る以外にないことが苦しみを生む。それを全部うっちゃってしまい、何もない人になりたくなる。

 それならもう生きていなくていいじゃないか。考えずに楽しみだけを糧にすれば良いじゃないか。ええじゃないか運動は辛さも何もかもが人生の馬鹿馬鹿しさに集約していることを示した。マスクしない運動をする奴らも似たようなものだ。全部うっちゃってしまいたいから、人生など馬鹿馬鹿しいのだから、たかがウイルス、たかがマスク、気にしても仕方ねえって。繰り返しになるが人間の知性とはそんなものである。

 私を焼き焦がしてしまうべく薄膜を漂い、太陽は天啓として、啓示を受けたかのように私は太陽(風呂場の電球が発する熱、光)礼賛を行う。私は知性的に判断をしている妄想を理論的に形作っている。それを正しいと思えばそれは正しい。外化出来る私は分裂病者ではない。この世界の許された構造を破壊していく。

 世界を焼いてしまおう。どんな風に生きたい? どんな風にも生きたくない。孤独以外になく、それは他者から見れば甘えである。人間との関係性を構築できないのだから薄気味悪さを伴い、他者から嫌われていく。そこに助けてと言ってもその言葉は焼け焦げて意味を成さない。悪夢のような炎が続き、すべてを焼いている。焼かれたのは私だったが、それは声を発することも、何かをなし得ることもない。

 生きることは焼かれることである。害のない人間を見て、私はそれらに仇なす。

 あのいじけた精神は私を人殺しへ導こうとする。生きていればいつか終われる。わざわざ他人を自分を終わらせる必要はない。

 日本人は自尊感情が三十年下がり続けているという。

 三十年下がり続けるというならば、私はその最底辺に存在する。私自身は基本的によい人間ではなく、好ましくなく、価値のない存在だと感じている。自己肯定感は負側に寄りすぎている。 他人から排除されやしないだろうか。という考え方。人間関係が上手くいかないから、自尊感情を感じられない。だから自身の世界観は薄膜ではなくソリッドに表現されていると信じる。

 私は自尊感情が負側にある。こんな糞を早く殺せ、殺すことも出来ない社会なら、私は生きていてもいい。マジョリティが、人生を送って来た人間達が、私は自分のことしか考えていないと指摘する時、私は人間関係が上手くいっていないと感じる。そもそも排除されているようなものなのだから、それは一瞬だけ自殺感情を呼び起こすが、私は既に他者からは価値のない人間だと思っている。だから私は私自身で私の価値を決める。私が私を決めている。他人の感情を詰まらせないような対話しか出来ないのだから、人間関係が上手くいくはずなどないのだ。麻薬をやって、脳を壊してしまいたい。一生ものだから、止めましょうと依存症だった人が講演をしていた。もう既にこの社会から排除されているような私であれば、麻薬をやったっていいだろう。この国の規範にはふさわしくない。私個人はこの人生の辛さに耐えかねている。こうした辛さを忘れる為にアルコールがあるのだろうが、私にはただ苦しいだけだ。

 混ぜ物が入った不純な女神を体内に入れてしまいたい。それが無ければ苦しいだけの人生。しかし、それと今の私の現状と何が違うというのだ。ただただ頭が痛み、日々の楽しみはなく呆然とYoutubeを垂れ流し、寝たいのに眠れずに起きる2時までの辛さがある。仕事をしていても、家で休もうとしていても、何をしていても辛さが付きまとう。お願いだから私を焼いてくれ、もうこんな場所にいても仕方がない。

 最近じゃ何をするにも倦怠感が付いて回る。元気な日など一日もない。ただただ引きずって歩くだけの人生である。日々である。

 私の世界観だけが浮いている。熱に浮かされたように、他人では考えられないような失敗を積み重ね、それらが体系化されずにそれだけの形で対処する。類推など出来ない。頭を使えなくなりつつある。知性がなくなりつつある。知性など最早ないが、このような惨めな人生に何があるというのだろう。

 消えてしまいたい。もう涙は止まらないから、脳が焼かれている。

 そうやって焦げ尽くして、焼き尽くして、私というものを消す。

 私から熱意は消え、いじけた精神が台頭するのならば、そんな個体は必要ない。

 

 さっさと消えてしまえ。自我が移される前に。

世界観と構造代謝の最中に消えゆく灯火