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トランプを支持 = 白人至上主義 ∴バイデンを選ぶ。
人間に多様性は扱いきれない。社会性は細々とした同士を作り、そこから外れた者達を攻撃、対立、反発しては自身の社会を拡大させる生き物なのだから。概念を広げれば私達は人間という種として協調して生きていく。そんなことが出来るのならばその例を示さなければならないが、この社会ではそれは実現していない。
差別は単一国家であれば大きな問題として取り上げられることは少ない。容姿年齢性自認病気障害、起きるとすれ
近代の人種差別はアメリカに端を発する。黒人差別は大きく取り沙
短絡で間違いと分かる社
多様性とは名ばかりの欠陥。建前上はルールを打ち立てることで可
150年。国が出来て200年あまりの国家はそのほとんどが差別
歴史は語っていた。暴力装置を改造しなければ。先日ロシアで70人ほどが撃ち殺された事件の映像を見ていた。散弾銃で砕かれた脳
杭
駄目だがやらなければならない。
それなりな努力では崖の縁に手を
やる必要があるのは、生活を続けるため、老いに殺されないため。
それが悪いとは言わないが、ショートカットするほど方向性は決め
私はこのように地下室の散文で発狂している。
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心臓が捧げられたのだから
もう書くことはないんじゃない?
そうは思っても私は文章の亡者である。仕事も出来ず、何ら価値のあるものを生み出せず、このような文章を書くことだけに特化した人間だ。会社では何を言っているか分からないと言われ、何をしたいのか分からないと言われ、私は価値ある人間ではない。しかしながら文章を汲むことだけは一人前に出来る。もしかすれば妄想症の意味不明を連ねているだけかもしれないが、誰も見ていないのだから一人前だ。
人間が作り上げる世界観と
接続子とは人間達の世界観を重ね合わせる為にあるもの、私達が様々な行動や言動に指向性を持たせる状態を生じさせるものだ。具体例を挙げれば数学や物理の領域は私たちの世
一方重ね合わせは人間が言語による抽象化、概念化を総合して作り
構造は代謝される。個人が作り上げた世界観は、例えばタトゥーを
共有される理論、機械的な部分が接続であるのなら、機械が模倣し
無意識に享受される死
哲学的ゾンビ
機械との接続か、反応そのものを接続しなければならない。意識と
体を何処かにぶつけた時に沸く怒り、叫び、恫喝、これを発すると
私達が普段観察できるのは①と③である。これまでの経験から類推
そうやって、人間は他者の自我を類推する。意識を想像する。そこ
接続
私たちの構造は接続により代謝または腐敗する。繋がる行為が構造
ここで一つの疑問が提示される。私たちが生きる社会の仕組みは、
しかし、この代謝は本当に腐敗を起こしてはいないのか。ちゃちな金稼ぎや
だから私は一つ個人に目を落として考える。
「資本化される自我の接続は構造代謝であるのか?」
バズる、世界観の薄く分かり易い重ね合わせは、広告として機能す
ただ唯一の資本化こそが是とされる社会(とは言っても資本は増大
このまま続ければ死ぬ瞬間まで労働者として生き、老人になろうが
死なないために資本化の波に乗る。すると現れるのは、歳を取って
金は虚像でしかない。手段に溺れ、構造は腐敗した。
それが無ければ生きられないが、多少それがあったとして、人間は豊かにならない。しかし金を稼げなければその機会すら限定的になる。
そこで先に上げたyoutubeなどの手段で金を得ようと誰かの真似をする。
資本的経済活動によって方向性を固着された私達の接続は腐る。加速主義によってシンギュラリティが生じたとしても、この活動の強化と方向性の固着は人間:意識という現象、これらが1-0の性質ではなく移り変わるものであり、その代謝は構造を保つために確たる方向性を持たない。(方向性を持つのは接続である。)単一の方向に偏った社会、世界はしばしばディストピアとして描かれる。身分証明書を売り払った中国の貧困層はほとんどの活動を制限される。自由と責任が上手く負えない為にポリティカル・コレクトネスは腐敗している。どうあっても様々な特性持つ人間を平等の意識で扱うことは出来ない。だからルールを作る。
参考までに下記を引用する。
アカデミー賞、作品賞の選定に新たな基準を導入 キャストやスタッフにマイノリティ起用を求める(ELLE ONLINE) - Yahoo!ニュース
基準を見るとわかるように作品のストーリーだけでなくキャスト、スタッフ、さらに宣伝や配給、資金の調達に至るまで映画作りのすべてのフェーズに人種的/民族的マイノリティ、女性、LGBTQ+、身体に障害を持つ人が関わることが求められている。またこれらのマイノリティをインターンシップや有給の実習生として採用し、将来的な雇用のチャンスも提供するよう求めている。
ビジネスとして、マイノリティが不利益にならないような活動。これは当然進められるべきで、全ての人間に全ての機会は与えられる必要がある。
この評価の在り方のお陰で日の目を見る人はいる。しかしながら、ただのポジショントークで利益を引っ張ってきているに過ぎない活動が目立っているように感じる。グレタちゃんなどの活動や一部のアイヌ民族の活動をみている限り、それらは組織的で利権の匂いがある。そんなもので機会の平等が得られるとは思えないし、歴史や環境を守ろうとしても結局それが強権的に是として行われる形は歪みを生む。果たして、作品にマイノリティが関わるのが必然なのだろうか。人間が平等の意識を持てないから、ルールを作って、それによって構造が代謝され平等に近づくことが出来る。そうした形態から入る西洋的な思想にも思える。神の教え。
作品を作りたい人が作る。面白いと思ったものを世に出す。過度に差別的な表現や露悪的な表現があればそれを無くせ。まるで人間は綺麗な絵空事の存在として空想される。現実には地を這い、世界すら理解することも能わず、確たるものが無い中で代謝させなければならない人間が、理想を間違った形で社会に押し付けている気がしてならない。そしてそれを評価する、それが価値あるものとして構造が代謝される。
面白い作品を作れなくなってきているから、そうした付加価値を付けようとしているのだろうか。
(常に希死念慮が募る)
私は間違っているが、世間はもっと間違っている。
良い悪いをはっきりと決める。これが社会のルールだからと決められたもの。この流れに疑問を呈し、行き過ぎた活動とならない様にしなければいけないと私は考える。だから自身が正しいと思ったことをやる。接続される世界観、構造を腐敗させてはならない。私は自身の構造を破壊する。
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萎びたキュウリを齧り、青臭いウリの大地が広がる。
スイカもニガウリもきゅうりメロンも同じだ。
私はどうあってもあの引き込まれるような妄想から逃れられないので数
そんなことはない。「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせて見たりしてはどうですか。打ち消そうとしても、かき消されてしまうので手強い。何
まだ体は動く。文章が書ける。しかし、私はビジネスパーソンとし
気持ち悪く歳をとった私のような人間は大人ではない。
死ねないか
間違いだらけの人生なら、嫌だと思ったことへ邁進すれば間違わな
その考えすらも間違うのである。嘘つきのパラドックスと似たよう
言えるのは、死を望む私の思考も間違いである。間違わない
誰もが辛いのだから、という呪い。
同じことだから、問題はあなたにある。クソ喰らえの
単純労働の悪夢が続く。私はそうでもしないと生きられない。くだ
誰かが慕ってくれるから、いいえ。ただ苛烈に孤独を腐
何者でもないが、それは糞袋と変わらぬ。誰かと関わる努力をしま
しませんよね?
そうなのです。努力もなく喚いておるのです。
何もしていないから悪夢に生きているのです。
「この際誰でもいいからさ」
「何を言っているのか」
言い返したところで、あの冷笑、あの大将ごっこ、それがこの人生
例えば浮ついた話のあれやこれやは私に一時たりともなかった。
⇒誰
例えば就職に際して私は単なる運のよさだけでこれまで生きてきた
⇒何か成果を残しましたか?
例えば学校生活において私はあまり他人と仲良く出来なかった。
⇒会
例えば同人即売会で私は薄笑いを浮かべパイプ椅子に座っていた。
⇒誰かと関わる努力をしましたか?
⇒しましたか?
⇒しましたか?
⇒しましたか?
⇒⇒⇒⇒しませんよね?
いつでも後ろ指を刺され。私に残っているものは何もない。この繰
浮気。
そもそも誰かへの愛情を与えることもなく、また与えられることも
私の年齢を考慮すればそれは異様なことだ。そこで培った
「誰かとわかり合う苦労もせず、分かち合うこともなく、隅でいじ
水槽の中で泳ぐ小魚、張り付くコバンザメをつついたところで私が
何もないが、未だに高校生の頃の、
「そういうところが嫌い」
といったあの女の言葉が繰り返している。
具体的に何がイヤなのか、私には分からない
「あんた拗らせちまったんだよ」
ご名答! というわけでもないが、私の心臓を捧げよう。
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確かに声を聞いたが、自己対話が少し浮いただけの話だ。リモコン
感想はこの世界に溢れていて、妄想ばかりの意味不明な報道機関も
感想で振り分けられた。合理的な感情が流れ、人間どもの意識はた
「事実がどれかの区別はついたかい?」
それらが囁くのは私をどうにかして破壊しようと試みる為であり、
私は太陽を礼賛し、それ以外にないと思いあがる。
この血と肉を焼き尽くせ。
「キミは幸せではないのだから」
だからと言ってその囁きが本物かどうか、それはあまり重視されな
そこに何も違いはない。多数が異常だと盲信するこの意識は社会と
私は私を押し込めるものに反発した。これも単なる反応である。自
冷笑などではない。熱を持って全てを焼き払う。
全て私自身を破壊する必要性を示す。
人間は病んでいる。
病の只中にある。
私は招かれた死、降り出した
私にはこの成長を期待され積み上げ続けなければならない社会で窮
そうして囁かれる声が煩わしく、脳を破壊してしまいたい。もう、
自殺しないこと。人を殺さないこと。犯罪者にならないこと。
そんな簡単なことすら私は出来そうにない。
こんな社会でうまく生きられぬのだから。
その反動は短絡的な犯罪を生み出す。私の脳味噌を引き摺り出し、
これらの言葉が溢れてそのどれもが他者の理解する価値もない。早
または、この社会を破壊し尽くさなければいけない。不可能な70
その実現はたった1つの命を終わらせるだけでいい。人間どもを殺
一酸化炭素中毒辺りで手を打とうか。
最早、ここに一秒たりとも存在していたくない。
男性の暴力性はこ
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私の中に打ち込まれた死を望む意志は消えることはなく、人生の最
長い間夢を見ていなかった。または夢を見た端から忘れてしまった
私は何者かに殺されることになった。椅子が立ち並び、大勢の人が
私は倒れ、それを突き付けられ、
「ね、死のう」
それだけ言っていた。
そこに宥めすかす女が現れる。頼むからこの場では、私が何かを言
そうして無事帰路につき、眠りにつく。
しばらくして、目の前が小さな光で照らされ、私は胸の中心を刃物
「アレで終わるわけないよ」
私の体から熱が消えていく。硬直する。
夢の一幕。脈絡はなく、ただただ死を望む意識がそこに現れた。
私は遂に殺された。そんなに望むならと、記憶整理の途上で私は殺
それもまた女の姿をとっていたように思うが、それは何故だろうか
点のように残された女性性が私を殺しにやってきた。人生を終わら
私は誰にも助けてと言えないだろう。
助けて、それは一体何から?
人生の不安から?
人間であることの懐疑から?
ここにある感情は人間を殺せ、世界を破壊しろ、それは自我の破壊
誰が私の善性を担保するというのだ。
誰が私の社会的価値を担保するのか。
それは自分自身である。
私は単に社会性がなく、ギリギリ会社のルールで生かされている労働者である。社会に出たことがないから死のうと。
それは素敵なことですよね。生きているのだから、死のうと思う。前頭葉が壊れていくのを感じている。叫ぶ、体を打ち付ける。この肉体から社会性を失ったものが顔を覗かせている。そいつは私を殺そうとしているのだ。
どうにかして抗わなければ。どうにかして生きなければならない。
死を望む精神それそのものは自らを消してしまいたいが、それは生きたいと思うからなのだ。生きたいのだから、死を望む。消えてしまいたい、頼むから殺してくれ。
これらは全て今の生きている状態が嫌なだけであって、別の状態におくことが出来ればそうならない。それを分かって、私はまだここで生かされ続けている。他の人間達はそんなことを一瞬たりとも考えたことはないか、そんな些末時に関わる暇がない。
私は社会の些末時である。
そこから這い出たものが価値を生み出すことはなく、
ただぬめりだけを残す。
今日も殺してくれるよう、私は望む。
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前を向く。それだけで落ち込む気持ちはある程度抑えられる。しか
人生は加速度的に変化する倍率である。9.80665倍されていく。地球の人生と金星の人生と火星の人生とエウロパの人生と、それら様々な加速で人生は変化する。
早くしてくれ。不意に浴槽で転び腰を打つ。私はその惨めな自身を
なんで今日まで生きてたんだ?
単純な奇跡である。どうして走っているのと訊かれても、私のよう
私は中央アフリカで生まれていれば混ぜ物の麻薬で腐っていっただろう
私はただ社会に引っかかっただけの人生だ。
経験はなく、頭でっかちに再現される世界。私は真に迫れない。頭
様々なものから距離を取った。その自我のよりぬきの後、世界観の薄膜は更に薄く引き伸ばされる。私を包もうとし
その人間たちの中で生きる癖に人間らしさがない。どこか異質なものが
そこまで苛烈ではないが、区切るという行為は自然と行われる。
その中で、私は楽しく、愉快に生きている。区切られ、見下され、被害妄想が吐出し、物事の表層をなぞる。そう言っていなかったから、何もないから気にするようなことじゃない。HSPなどと喚いた所で、それが救いのように、免罪符のように定義されたところで、それが特別な配慮に変わることはない。私達は個人を尊重しつつ、合理性の檻の中で回らなければならない。辛さが押し付けられるから、誰もかれもが反発する。それを少しでも和らげる形に持っていけたら良いのだが。
人間の曖昧さを明らかにし、何か明確なものとして社会に提示する行為は良いことなのだろうか。極端なものへ走るのは、都合の良い分かりやすさで動くのは、個人としても社会としても動かしやすく非常に楽な選択なのだろうが、おそらく一人一人が分かりやすさのウソと幻を判断できるようになっておかなければいけない様に思う。